2005年01月27日
デジタルとネットワークで会議は踊る?
デジタルとネットワークで会議は踊る?
■会議を支援するノウハウやツール、環境
共創の場として真っ先に連想するのが会議である。ブレインストーミング、問題解決、意思決定、報告や雰囲気づくり、会議の目的はさまざまであるが、日常的に、組織のコミュニケーションプロセスで重要なイベントである。普通のビジネスマンなら年間何百回もの会議を経験しているだろう。
その重要性の割に、工夫のある会議というのは少ないと感じる。そこに参加する人数に比例して、生産性が高まることは稀である。大人数になれば、各自が持っている潜在的な情報や知恵の総和が増えるはずなのに、大抵は逆に、会議がだらだら長引いたり、形式的になって自由な意見がでなかったりする。
工夫と言うのはノウハウやツールのこと。例えば他人の意見を否定しないでアイデアを出し合うというのは、簡単だけれど効果のあるノウハウだ。発言に時間制限を設けて、時間が近づくとチーンと鳴るチャイムは、以外に役立つツールである。長引く会議が煮詰まったときには、チョコレートやキャンディなど甘いものを配ると言うのも、一般的な工夫のひとつだろう。
環境も大きい。会議室の机の形状やレイアウト。壁の色やインテリア。会社によっては廊下や階段の踊り場に小さなテーブルを置いて、立ちながら手短な会議ができるようにしているケースもある。これはかなり有効だと言う。煙草部屋は人を選ぶが、独特のマッタリ感が、きちんとした会議室ではでないアイデアを生んだりする。
■ITによる会議支援の現状と可能性
じゃあ、ITは会議をどう支援しているだろうか?どんな支援がこれから可能だろうか?そしてその有効性は?
ここ数年、会議に議事録担当以外の人間も、ノートPCを持ち込むケースが増えていると思う。私の主観では、この持込はあまりうまく機能していないと思う。自然と目線は話者を向かずに液晶画面をみつめてしまうから、アイコンタクトによる活性化が失われる。PCに向かう人間も、積極的に発言する側というよりは、淡々と記録する側に回ってしまう。いや、会議に向かっているならまだマシで、無関係なメールチェックやネットサーフィンに時間を費やしてしまう人も少なくないはずだ。
なぜ会議生産性にPCがうまく機能しないのかと言えば、会議を支援する、良いアプリケーションがないからだろう。会議室予約のWebアプリやビデオ会議システム以外、これといったツールがないように思える。
まだ一般的とは言えないが、この分野を支援するITツールはいくつか登場している。
・音声、映像と連動するメモ Quindi
http://www.quindi.com/
会議の音声や映像を記録しながら、電子メモをとる。電子メモはデータベース化され、そのメモがとられた時間の音声や映像を見ることができる。
・ホワイトボードのデジタル化 mimio
http://www.kokuyomimio.com/
ホワイトボードに書いた内容を取り込み、プロジェクターで投影したPC画面をその場で操作。
・論内容のリアルタイム可視化 コラジェクター
http://www.ciec.or.jp/event/2002/papers/pdf/E0120.pdf
http://www.keiomcc.com/colla0305/
会議の内容を訓練された担当者が聞きながら、プロジェクター上で、パワーポイントの概念図にまとめていく。コラジェクターはこの知識流通のイベントで以前、試しているが、私はかなり感動した。だらだら話していても、自然と概念図が話を収束方向へ向けてくれる感じが良かった。
さて、これから会議はITでどう変わるのだろうか?ツールは会議の何をどう支援すべきなのだろうか?
投稿者 webmaster : 15:36 | コメント (0)
「人生はなぜ辛いのか ネゲントロピーとミームの戦い」
「人生はなぜ辛いのか ネゲントロピーとミームの戦い」
さあ昼休みだ。また私は午後の仕事の準備に追われて、コーヒーでハンバーガー流し込むランチを取っている。その合間に、このコラムを執思いつくまま、書いている。ああ、もっと楽に仕事ができないものか。
人生楽ありゃ苦もあるさ。銭形平次のエンディングテーマが流れなくとも、人生や仕事は楽しいという反面辛さを感じる場面が常にあることを私たちは体験から知っている。なぜに人生は辛いのだろうか。それは自然の法則である、エントロピーの法則に逆らう努力をしているからだ。
私たちの世界はご存知のようにエントロピーの法則に支配されている。努力をしなければ、何事も秩序は崩壊し無秩序に向かっていく。放っておけば部屋は散らかるし、食べ物は腐る。何も考えがなければ、仕事のプロジェクトも失敗する。
私たちの身体機能も同じである。私たちは呼吸をし、物を食べて新陳代謝を行うことで、細胞の再生産、再組織化を行っている。細胞や遺伝子の壊れやすい情報を維持する努力をしているわけだ。秩序という情報は、このエントロピーの法則に逆らって努力をしなければ、得られない。逆らうから摩擦が起きて痛い、だから、辛いのだ。
エントロピーへ逆らう努力をする局所的な場所では、私たちはこの自然の法則に逆らうことができる。生きている間は身体を維持できるし、頑張る人たちの「プロジェクトX」は成功することもある。こういった局所系はネゲントロピーの系と呼ばれる。
しかし、全体としてみれば、人間も他の動物も、DNA情報の複製エラーがが蓄積して、秩序の情報を失っていく結果、必ず年老いて死んでしまう。宇宙もやがては熱的な死というカタストロフを迎えると言われている。この情報との戦いに私たちは負けることが、宿命づけられていることになる。
人類の進化と文明の歴史は、この宿命に逆らうネゲントロピーの軌跡そのものだ。世代から世代へ、身体の構造を、社会の構造を、知識の構造を、組織化するノウハウを流通させてきた。
「利己的な遺伝子」の中でリチャードドーキンスが定義した「ミーム」というキーワードは印象的だ。ミームとは、DNA情報の伝達因子としてのGene(遺伝子)の概念を、情報論に応用し、情報を伝えていくための伝達因子に名づけられた名前だ。ミームは情報を運び、ミーム同士が弱肉強食の自然淘汰を行い、次世代に生き残る強いミームを残していく。
・利己的な遺伝子
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314005564/250-6902160-3008213
アイデア、データ、情報、知識、知恵。呼び方は異なっても、私たちは、こういったすべての情報を運ぶミームのキャリアである。ミームを使うことで人間は、与えられた生命時間を過ぎても情報遺産を残すことができるし、物理的制約を超えて他社と意識的、無意識的に、情報の組織化と構造化を達成できる。そこには、新たな価値が生まれ、ネゲントロピーの系を拡大していくことができる。
ミームのせめぎあう場所は、ミームプールと呼ばれる。インターネットは人類史上最大のミームプールと言えるだろう。知識流通の仕組みの構築は、このプールの活性化の温度を上昇させる仕組みとなっていくテーマであり、ITはその速度を加速させるコア技術だ。
知識流通のためのミームプールを、どう管理し、どう泳いでいくのかを今考える。それは、辛い人生を楽にすることでもあり、プロジェクトを成功させるということ、にもつながっている。情報管理(Information Management)はLifeManagementであり、Project Managementでもあり、人類共通のGlobal Issuesとして顕在化してきている時代なのだ。
短い昼休みが終わろうとしている。片手にハンバーガーを持ちながら、ずいぶん大仰な結論のコラムになってしまったな、と今気がついた。が、修正している時間はない。このまま編集部に私のミームを飛ばしてしまおう。
投稿者 webmaster : 14:51 | コメント (0)
「情熱的な発信者と知識の影響力」
「情熱的な発信者と知識の影響力」
■知識とは信念である
ナレッジマネジメントの権威、野中郁次郎氏の著書の中で、知識の定義のひとつとして、「知識とは信念である」というセンテンスがあった。知識とはそれを持つ人にとっては、これまでのところ正しい「真」であり、信じていることだ、とし、この性質に「正当化された真なる信念(Justified True Belief)」という呼称を与えている。別の学者の「行動のための能力(Capacity To Act,K.Sveiby)」という定義も同時に紹介されていた。
私たちは、知識を行動の原理として使う場合、その知識が正しい、少なくとも最善だ、と思っているものだ。だが、この場合、客観的な正しさや論理的な正しさは必ずしも求められていないように思える。
■思い込み知識のパフォーマンス
ここでふたつほど具体的なケースを紹介する。
学生の頃、大学に講演に来た、ある年配のベンチャー経営者の話を聞いた。その経営者は物流サービスを提供する会社を10年以上かけて、二部上場させたことを誇りにしていた。彼は叩き上げの信念の人だった。その内容は、カネカネカネであり、上場が組織の、というより、彼の人生のすべてであった。その話は当時の若かった私にとって、ちっとも魅力的ではなかった。講演の内容には、創業や人事、企業会計など幅広く持論が展開されたが、客観的、理論的に考えて、明らかに間違っている経済、経営知識も含まれていた。教授がその場にいたらきっと苦笑いしていたかもしれない。
ある書籍で、著名IT企業のトップが、オフィス床面積と電力消費量の相関からその部門が出す利益を正確に予想できるという逸話が書かれていた。その相関を証明した学者はまだいないだろうし、客観的に考えて、適合することの方が少ない知識だろう。しかし、経営者はこのノウハウで巨額の利益を実際に叩き出しているそうだ。
知識が正しかろうと間違っていようと、思い込みの強い経営者が実績を伸ばしている事例はたくさんある。古典的な中小企業の創業経営者には、自分のノウハウの絶対性を信じて疑わないことが、組織の成長の源泉になっていることはよく目にするケースだろう。ここでは、知識はまさに「正当化された真なる信念(Justified True Belief)」である。(無論、間違った信念で失敗する経営者はその何倍もいるのだろうけれど)。
■モチベーションと情報感度、その強化方法
先日、ある大手シンクタンクの主任研究者との情報交換会で、「モチベーションの高さと情報感度の高さは比例することを示す企業組織の調査があった」と聞いた。情熱的で信念を持って行動する人は、ツールやノウハウを豊富に知らなくても、人に聞くなどして、必要な情報を集めることができる、ということだろう。その結果、当初は多少間違っていた知識もうまく修正がかかって、失敗を回避できているのかもしれない。
それでは、「正当化された真なる信念」としての知識を強化するにはどのような方法があるか考えてみた。
【信念強化のリスト】
・繰り返し主張する、書く、話す
・成功体験で裏打ちする
・賛同者、支持者を得る
・トラウマ、病気、戦争体験など生死に関わる体験、過酷な逆境
・執着的、粘着的、禁欲的な性格(*)
*こんな本があった「童貞としての宮沢賢治 ちくま新書」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480061096/
晩年に高い評価を得た、学者や経営者や芸術家で、若い頃はその思い込み故に、奇人変人と思われていた人物は多い。彼らの持っていた知識フレームやパラダイムは当時の常識に照らすと「間違っている」ものだった。逆境にありながら、その知識を強化するには、上記のリストのような経験があったはずだ。その時点での客観的正しさよりも、強化することの方が重要なことがある。
■ITと個の影響力の範囲拡大
最近書店では、モチベーションマネジメントやコーチング、交渉術の本をよく目にする。売れ筋を見ても、一般の関心も高いようだ。不況を精神面から克服する意味もあるのだろうけれど、もうひとつの理由として、普及したITが個人の能力と影響力を無限大まで高めることができるようになったから、という仮説を私は考えている。
IT普及前までは身体を鍛えてもプロレスラー程度だったところが、IT武装によって情報収集力や発信力を得て、アニメの巨大ロボット並みのスーパーパワーを持ち得るようになったということだ。インターネットを使って数万人や数十万人に個人が影響力を持つことはもはや日常茶飯事だ。
ここで個人の影響力の範囲を、6段階に分けた同心円として表現してみた。個人、イエ、ムラ、コミュニティ、社会、世界の段階を、外側へ影響力を広げるための伝達手段や主なITツールを別表にした。
■ポスト・デジタル・デバイドの丸裸の個人
同心円を外側へ向かって影響力の範囲を拡大させる大きな力のひとつが、信念としての知識ではないかと私は考えている。粘り強く、繰り返し訴え、影響力を諦めないこと。手段やツールはその力を加速させるものに過ぎない。ツールだけでは何も起こらない。
IT時代になって、身体と頭脳の拡張ツールが一般化したことで、個人の能力は丸裸にされつつある。過渡期としてのデジタルデバイドが終わった時、ツールのリテラシーによる差は最小化される。つまり、個人のベースとなる知識の量と質、処理能力や、持っている影響力の差が拡大し、できる人、できない人の差は極端に大きくなってくる。
■影響力を持つ知識の使い手の戦略
そういった時代に影響力を持つ人には2パターンの戦略があると考える。
1 影響力伝播の仕組みに通じている確信犯
同心円の構造とはたらきに精通してそれを利用する人
2 情熱的な発信者という実行犯
この論の前半で述べたような信念としての知識を持つ人
今のインターネットの情報の動きを見ていると、悪貨が良貨を駆逐することは多い。知識の正しさを評価する仕組みは漠然としている。部屋に閉じこもって外部とコンタクトを取らずに、匿名掲示板の正しさ、間違いを読むことは困難だ。正しさを調べるツールもある代わりに、間違いを信じ込ませる仕組みも発達してしまっている。検証のしっかりした学会社会とは違う性質の世界だ。自然淘汰、浄化はあまり期待できない可能性が高い。
「正当化された真なる信念」、正しいと信じて発信し、自己強化しながら、同心円の外側へ働きかける「行動のための能力」が、今後一層、知識の影響力を左右する大きな要素になると私は考えている。
■悪貨と良貨を見分ける難しさと必要性
また、この論の中で述べたように、
・本人にとっては「信じている」ことが、知識の正しさであり伝播させる原動力
・当初間違っていても後世に正しさが評価される知識がある
・同心円外部への「突破」できる知識が実践では正しい知識とみなせることがある
と考える。
倫理的にこの考え方はどうか、全体を正しさの方向へ導くガイドがあるべきなのではないか、とも思う。私はこうなってほしいと考えているわけではない。知識の伝播が何らかの正しさ(政治的、社会的な合意としての正しさ)によって最適化される仕組みは求められていると思う。パブリックコメント、アセスメント、学界的検証にあたる知識流通のフィルターをどう作っていくかは、これからのグローバルイシューと言えるのではないか。
#図 情報発信の影響力の同心円
添付「図1.ppt」参照
#図の解説表 影響力の範囲と伝達形態、ITツール
範囲 伝達形態 主なITツール
-------------------------------
個人
↓ 親しい会話 メール
イエ
↓ 社会的発話 メーリングリスト
ムラ
↓ 小さなメディア 個人Web
コミュニティ
↓ マスメディア ニュースサイト
社会
↓ グローバルな場 現状特になし
世界
*組織に置き換えると、イエ(部署)、ムラ(企業)、コミュニティ(業界)、社会(市場)などと表現できそうだ。
投稿者 webmaster : 14:29 | コメント (0)
情報ブリコラージュの時代
・情報ブリコラージュの時代
ビジネスマンにとって情報は今使える情報こそ重要な情報である。たとえそれが
首尾一貫したものでなく、断片的なものであっても、それらを組み合わせて、顧
客を、上司・部下を、株主を説得できればビジネスの目的は達せられる。研究者
が必要としているような一大論理体系は、むしろ、理解するのに時間がかかって
面倒であるし、そこまで知って何になる、と敬遠されがちだ。
Webで手早く情報を拾って、作成中の企画書をまとめあげる。経験のある仲間に
聞いて目処をつける。前年度の資料を参考に、勘を使って数字を手直しする。
ビジネスマンが日常必要としている情報処理というのは、研究者のそれと違って、
目の前にある仕事を片付けるということに向かっているわけだ。
レヴィ・ストロースの造語に「ブリコラージュ」(器用仕事)という言葉がある。
本来は未開の部族が、少ない手持ちの道具や素材を上手に使って、必要なものを
作り上げてしまう手仕事のことだ。ブリコラージュは学者や職人のプロフェッショ
ナリズムとは対をなす、生活者の熟練の知恵であるが、現代において上手にITを
使いこなす人たちと言うのは情報ブリコラージュの達人と言えるのではないか、
と思う。
・器用に検索エンジンを使って、情報をまとめあげる仕事
・フリーのツールを多数組み合わせて文書処理を行う仕事
・オンラインの情報を肴に原稿や企画書を半時間で書いてしまう仕事
・専門外の質問にもネットワーク経由で識者に聞いて解決する仕事
・手持ちデータをネット情報で補強して翌日のプレゼンを切り抜ける仕事
一般にこういうことができるビジネスマンはネットを使いこなしていると言える
だろう。こういった作業をするのに情報学を学ぶ必要はない。少ないリソースで
どうにかする経験の積み重ねの上に、ブリコラージュのヒューリスティックは蓄
積されていくものだ。
情報ブリコラージュができるメンバーとチームを組むのは楽しい。その場で次々
にデータが情報や知恵へと織り上げられていく様をリアルタイムに見ることがで
きるからだ。情報処理は理論も大切であるが、今ある手元のリソースとツールで、
どうにかしてしまうための現場の手仕事=ブリコラージュから、Tipsを吸い上げ
ていくことも、共創の仕組みのキーワードのひとつとして重視したい。
投稿者 webmaster : 14:28 | コメント (0)
暗闇への跳躍とオンライン・コミュニケーション
■暗闇への跳躍
柄谷行人「探究1」P50-より引用。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061590154/daiya0b-22/
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私はここでくりかえしていう。「意味している」ことが、そのような《他者》にとって、成立するとき、まさにそのかぎりにおいてのみ、”文脈”があり、また”言語ゲーム”が成立する。なぜいかにして「意味している」ことが成立するかは、ついにわからない。だが、成立したあとでは、なぜいかにしてかを説明できる。---規則、コード、差異体系、などによって。いいかえれば、哲学であれ、言語学であれ、経済学であれ、それらが出立するのは、この「暗闇の中での跳躍」(クリプキ)または「命がけの跳躍」(マルクス)のあとにすぎない。規則はあとから見出されるのだ。
この跳躍はそのつど盲目的であって、そこにこそ神秘がある。われわれが社会的・実践的とよぶものは、いいかえれば、この無根拠的な危うさにかかわっている。そしてわれわれが《他者》とよぶものは、コミュニケーション・交換における危うさを露出させるような他者でなければならない
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情報や知識を他人と交換しようとして対話を始めるとき、私たちは、相手に分かってもらえるかどうか、事前には知りえない。とりあえず、話してみた結果、分かってもらえたり、そうでなかったりするのだ。文章やことばの分かりやすさ以前に、ことばの命をかけた跳躍というプロセスが存在している。
■文脈レス・コミュニケーション
インターネットは、跳躍の垣根を低くした。経営トップや著名人にもメールを直接、送ることができるし、Webやメールマガジンなど発言の場所もある。しかし、情報の発信(一方的に跳ぶこと)は容易になったけれど、コミュニケーションの跳躍の深刻さはそのままだ。Webやメールでこうして私が書いている文章だって、本当に相手に理解されるかどうかは分からない。
インターネットにおけるコミュニケーションの難しさは、私の文脈が、読者の文脈とはまるで次元の異なるものであるということだ。家族の団欒、書籍での執筆、会議でのプレゼン、講演会であれば、少なくとも文脈は共有されている。これに対して、Googleで検索されて偶然発見されたページは、文脈共有の保証がない。
時間軸もそうだ。ネット上の、そのデジタル文書が、3年前に書かれたのか、昨日書かれたのか、必ずしも分からないし、新旧のものが混在している。日本語の場合には日本人が書いたということが分かるのがせめてもの救いだが、英語文書では実際複雑である。
そもそもデジタル文書は書き手さえ保証がない。目の前で話された言葉や、直筆の手紙と違って、本当にその人物が書いたのか、確認できないことが多い。ひょっとして機械が書いたのではないかと疑うことさえできる。
また、書き手のリテラシーも一律ではないから、個人のWebサイトなどでは特に、引用や翻案の出典などが明記されていないことが多い。ソースを探すのにまた一苦労する。
要は、安易に行われる無数の暗闇への跳躍のログが、文脈レスな文書を大量発生しているのだ。私はネットで調べ物をして物を書くことが多いので、こういった文書と対話する機会が多い。検索エンジンのデータベースの拡大に比例して、文脈不明の文書との対話回数が最近、増えているなあと感じる。
■跳躍の文脈をみつけるデジタルテクノロジー
そろそろ、跳躍の文脈や意図、深刻さをデジタル文書も持つべきだと思う。例えば、こんなメタデータのテクノロジーである。
・電子署名(著者の手によることの確認)
・レイティング情報(第三者評価)
・著作者情報(書いた文脈)
・文書自体の履歴(古さ、複製移動など流通履歴)
例えばユニークなものだけ幾つか紹介すると、
・インターフェイスの街角(67) Web ページの鮮度を視覚化する
http://pitecan.com/UnixMagazine/PDF/if0308.pdf
古いホームページは見た目が劣化してセピア色になるなど。
・history flow
http://www.research.ibm.com/history/
文書の変更履歴を視覚化する。誰がどのように変更してきたかを一目瞭然にする。
・自筆フォントMyFont(テクノアドバンス)
http://www.techno-advance.co.jp/
自筆フォントを作成してくれるテクノアドバンスのMyFontは、指定された用紙に200文字程度の文字を書いて郵送すると、その筆跡パターンから4000文字分のフォントを合成して、PCで使えるフォントファイルを作成してくれる。
・NEC SiteSeer
http://citeseer.nj.nec.com/cs
海外研究論文サーチ。相互の論文参照関係が分かるのが特徴。
■想いの強さを理解する未来の技術
しかし、メタデータをどんなに充実させたところで、「暗闇への跳躍」が本来は、生死の問題に関わるという根幹は変わらない。ワープロの時代と毛筆の時代では、きっと書くことの重さが変わっている。私たちは簡単にメールを書き、文書を発表している。送信ボタンひとつでまさに、「書き飛ばし」ている。デリートキーで消せて、他の候補に変換できる軽い字を書いてしまっている。
南極観測所に送られた妻からの3文字のメッセージ「あなた」に込められた想いと、ネット上の検索結果に約15,100,000件でてきた「あなた」とではきっと重さは違うのだ。この想いの強さ、跳躍の意味を受け止めるような技術は、いつか現れるだろうか。もしそうだとしたら、大切なものをもっと早く探せるようになる、そんな気がする。
投稿者 webmaster : 14:26 | コメント (0)
共創のメタ知識:「要素、構造、機能」、「特徴、利点、利益」
■共創のメタ知識:「要素、構造、機能」、「特徴、利点、利益」
「創造学のすすめ」を読む。失敗学で有名な畑村洋太郎氏による創造原理の本。
この本によると創造の仕組みは「要素」「構造」「機能」で成り立っているという。要素はさまざまな形で結びつき、全体構造を作っている。構造は何らかの機能を持っている。そして、創造とは「要素や構造の組み合わせによって、新しい機能を果たすものをつくること」であると定義される。
デジタルカメラと携帯電話という二つの要素を組み合わせると、デジカメ付携帯電話という全体構造ができる。カメラの機能と電話の機能の足し算になっているのはもちろん、新しい機能も生まれる。
外出先から写真をアップロードしてWebで報告する機能、簡易プリクラ機能、写真をメールで交換する機能など、デジカメ、カメラ単体では難しかった、新たな機能が発生している。これが創造された機能である。
なるほど、と思った。「要素」「構造」「機能」という分け方で頭が整理される。
企画の会議で、アイデアを探しているときに、まったく新しい要素や構造を考えようとして、煮詰まってしまうことは多い。古今東西誰も考えたことのない要素はそう簡単にはみつからない。大抵は広く市場を調査すると、その組み合わせは過去に既に発案、実現されていたりする。世界で60億人の人間が日夜思索しているのだから、どんな組み合わせも既にあるのは、当たり前かもしれない。
ある企画がヒットするかどうかは、時代や市場の状況という文脈の中で、具体化されるときに、持てる機能が明確になるかどうかで決まるということだろう。この本では、アイデアの具体化には、体験や経験の量や質が重要であるとしている。抽象概念から具体化するのではなく、具体化したものを抽象化で検証し、具体に戻せというようなアドバイスがある。
この要素、構造、機能に分けて考えよという考え方は、以前読んだ「ソリューションセリング」という本に書かれていた営業上の、「特徴」、「利点」、「利益」の説明に似ているなと思った。こちらは、営業するときに、フィーチャー(特徴)、アドバンテージ(利点)、ベネフィット(利益)を区別して話すべき、という考え方で、例えば、コーヒーカップを売るのであれば、
フィーチャー :特徴
このコーヒーカップには取っ手があります
アドバンテージ:利点
それがあなたの指を火傷から守るでしょう
ベネフィット :利益
それはあなたが避けたいと思っていたことですよね
ということになる。売り手が考えるべきはベネフィットなのだ。
私はコンサルタントなので、売れる商品、売るためのメッセージを考える会議に毎週参加する。うまく行くチームの会議は、「構造」「要素」「機能」、「特徴」、「利点」、「利益」の違いや、どれを今考えるべきなのかというメタ知識を共有しているように感じる。インタラクションの過程で、常に発言が「機能」や「利益」になっているかを検証しようという意識があると、会議は効率よく終わる。
従来の発想支援というと分かりやすいツールやメソッドに注目が集まりがちなのだけれど、こういった幾つかの原理、共創のためのメタ知識を共有しておくことも重要だと考える。
投稿者 webmaster : 14:25 | コメント (0)
パフォーマンスアートとしてのアイデアマン
■パフォーマンスアートとしてのアイデアマン
アイデアマラソンの提唱者、樋口健夫氏は、毎日、発想のメモをノートに記述されている。1984年1月に開始して2003年11月末までの20年間で、276冊のノートに17万6000個以上の発想を記録しているという。この偉業は発想メソッドとして体系化され、文庫書籍にもなっている。まだ半分も読んでいないので、アイデアマラソンというメソッド概要の説明を目次レベルで知って考えたことを書く。
このアイデアマラソン、紙のノートでは検索性が悪そうに思うのだけれど、恐らく、メモの集積よりも、アイデアを常に生み続けられる著者の能力こそ重要なのではないかと感じている。このメモの集積は、使えるデータベース構築というよりは、オンデマンドにアイデアを産み出せる頭を作るための練習の記録なのではないだろうか?。
研究職であれば、研究しアウトプットの集積を作ること自体が仕事実績と認められそうであるが、一般の営業や営業、企画では、ジャストタイミングで最適なアイデアを提出することが、アイデアマンとしての重要な資質になるだろう。メモの大量の集積をすべて頭の中に持ち歩くわけにはいかない。アイデアマンはパフォーマンスアートと考えた方が良い気がする。
■腕時計型PCの経験と即席ウェアラブルアイデアマン
PDAやノートパソコン、持ち歩ける手帳。モバイルツールは、ある程度までこのパフォーマンスを支援する武器だと思う。私は以前、Ruputerというセイコーインスツルメンツの腕時計型PCを愛用していた時期がある。
当時は3メガバイトのデータをディレクトリに分類して持ち歩いていた。内容は、過去数年分の書いた原稿で、文字量に換算すると、日本語で150万字、400字詰め原稿用紙に換算して3750枚分に相当した。この原稿を腕時計型PCで全文検索することができた。
例えば会議やパネルディスカッションの最中に、腕時計を見る振りをしてデータを参照することがでる。WindowsCE端末にせよザウルスにせよ、PalmPilotにせよ、PDAを取り出してしまうと、「あ、データを参照しているな」と周りに分かってしまうが、腕時計にしか見えないRuputerなら誰もデータを参照しているとは気がつかない。「その分野だとこんな事例がありますね。ご存知ですか?」と10個も20個もデータを暗唱して見せることができて愉快だった。
■情報を近い場所に置くことでつながり、発想が生まれる
多分、実力以上にアイデアのある人と思われたに違いない。当時の市場価格で1万5千円は安かった。ただ、この腕時計を忘れてくると、話ができなくなってしまう。いつでも参照できると思うと、記憶を怠る。
情報同士がいかに近い場所にあるかによって、新しい発想がでる確率が高まると漠然と考えている。スタンドアローンのPCにある情報同士より、ネットワークでつながったPCの情報の方が、新たな発想につながりやすいと思う。究極は、脳内で記憶しておくことだと思う。シナプス通信はADSLやBフレッツよりもずっと速いからだ。
それゆえ、腕時計PCはしばらく使っていない。時計としてデザインがいまひとつだったこともある。だが、あの便利さ、パワーアップ度は素敵だった。ウェアラブルPCは、パフォーマンスアートとしてのアイデアマン量産に役立つものと思う。
次は、必要な情報をメモ集積やネットワークから自在に取り出して、耳元でささやくデバイスや、TPOに反応して眼鏡に半透過で関連情報が投影されるような、見た目も洗練されたウェアラブルデバイスの登場を願いたい。
投稿者 webmaster : 14:25 | コメント (0)
知識の差分
「知識の差分」
実はこの原稿は担当の部長からちょっとサンプルを書いてくれとの依頼で、仮想
読者に向けて、独り書いている。執筆段階ではWebサイトがまだできていなかっ
たりする。こういう時に書き手が考える問題は、読者がテーマについて、どのく
らいの知識を持っていて何を求めているのか、ということだ。
例えばP2Pという言葉を説明なしに使ったりしてよいものなのかどうか、定義ま
で書くのは冗長なのか適切なのか、といったこと。読者と私の知識の差分量を見
積もらなければならない。
人工知能の権威であるマーヴィン・ミンスキー教授の名著「心の社会」の中で差
分エンジンという言葉が使われている。現在の状態と、目指すべき状態の差分を
ソフトウェアが発見し、その差分を埋めるように振舞う仕組みを、知識エージェ
ントの動作原理、つまりエンジンとする考え方だ。
私の仕事はコンサルタントだ。クライアントと私の知識の差分量を経済的価値に
変換する仕事をしている。情報や知識の差分が私とクライアントの間で、平準化
されてしまうとコンサルタントとしての私の価値がなくなる。だから日夜新しい
情報を仕入れて差分を大きくすべく、情報の収集に必死に励んでいる。
インターネットは情報交換を促進し、あらゆる分野でこの差分を小さくしていく。
情報で稼ごうと思う人間にとっては結構辛い世の中だ。私も、また、差分エンジ
ンの社会システムにどっぷりはまってしまいながら、このコラムを書いている。
・マーヴィン・ミンスキー「心の社会」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4782800541/daiya0b-22/
投稿者 webmaster : 14:22 | コメント (0)
失敗の知識流通
#この原稿は2003年に書いたものの再掲載です。
「失敗の知識流通」
先日、早稲田大学の履修登録システムで、こんなシステムトラブルが発生した。
・2003年度Web科目登録について(お詫び)
https://www.wnp.waseda.jp/portal/oshirase.php
アクセス殺到による過負荷とシステムの欠陥によりオンライン登録システムがダ
ウンして支障が出たというトラブルだ。
ここは、私の母校なのだが、Web上で履修登録ができるようになっているという
事実にまず驚いたが、そのシステムの事故で授業開始が1週間遅れる学部も出た
という深刻な状況だという。大手の一流のシステムインテグレータの仕事のはず
なのだが...。
失敗がどのような仕組みで発生するのか、どの程度の確率で発生し、起きてしまっ
た場合の深刻さはどれくらいなのか、どのような対応が適切なのか、といった失
敗知識の流通は、システム化、自動化の進む現代では非常に重要なテーマとなっ
てきている。
いかにして成功するか、のナレッジマネジメントだけでなく、いかにして失敗を
予防するか、対応するか、以下のようなWebサイトで学ぶことができる。
・失敗知識データベース(科学技術振興事業団)
http://shippai.jst.go.jp/sippai/ippan/main.jsp
・失敗学会
http://www.shippai.org/shippai/html/
・Archive of Hacked Websites(クラックされたWebページアーカイブ)
http://www.onething.com/archive/
・インターネット業界トラブルニュース
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/1394/
・倒産情報INDEX(帝国データバンク)
http://www.tdb.co.jp/tosan/jouhou.html
・404 ResearchLab(NotFound、ページ表示失敗時のアナウンス事例アーカイブ)
http://www.plinko.net/404/
投稿者 webmaster : 14:17 | コメント (0)
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