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2005年01月27日
「情熱的な発信者と知識の影響力」
「情熱的な発信者と知識の影響力」
■知識とは信念である
ナレッジマネジメントの権威、野中郁次郎氏の著書の中で、知識の定義のひとつとして、「知識とは信念である」というセンテンスがあった。知識とはそれを持つ人にとっては、これまでのところ正しい「真」であり、信じていることだ、とし、この性質に「正当化された真なる信念(Justified True Belief)」という呼称を与えている。別の学者の「行動のための能力(Capacity To Act,K.Sveiby)」という定義も同時に紹介されていた。
私たちは、知識を行動の原理として使う場合、その知識が正しい、少なくとも最善だ、と思っているものだ。だが、この場合、客観的な正しさや論理的な正しさは必ずしも求められていないように思える。
■思い込み知識のパフォーマンス
ここでふたつほど具体的なケースを紹介する。
学生の頃、大学に講演に来た、ある年配のベンチャー経営者の話を聞いた。その経営者は物流サービスを提供する会社を10年以上かけて、二部上場させたことを誇りにしていた。彼は叩き上げの信念の人だった。その内容は、カネカネカネであり、上場が組織の、というより、彼の人生のすべてであった。その話は当時の若かった私にとって、ちっとも魅力的ではなかった。講演の内容には、創業や人事、企業会計など幅広く持論が展開されたが、客観的、理論的に考えて、明らかに間違っている経済、経営知識も含まれていた。教授がその場にいたらきっと苦笑いしていたかもしれない。
ある書籍で、著名IT企業のトップが、オフィス床面積と電力消費量の相関からその部門が出す利益を正確に予想できるという逸話が書かれていた。その相関を証明した学者はまだいないだろうし、客観的に考えて、適合することの方が少ない知識だろう。しかし、経営者はこのノウハウで巨額の利益を実際に叩き出しているそうだ。
知識が正しかろうと間違っていようと、思い込みの強い経営者が実績を伸ばしている事例はたくさんある。古典的な中小企業の創業経営者には、自分のノウハウの絶対性を信じて疑わないことが、組織の成長の源泉になっていることはよく目にするケースだろう。ここでは、知識はまさに「正当化された真なる信念(Justified True Belief)」である。(無論、間違った信念で失敗する経営者はその何倍もいるのだろうけれど)。
■モチベーションと情報感度、その強化方法
先日、ある大手シンクタンクの主任研究者との情報交換会で、「モチベーションの高さと情報感度の高さは比例することを示す企業組織の調査があった」と聞いた。情熱的で信念を持って行動する人は、ツールやノウハウを豊富に知らなくても、人に聞くなどして、必要な情報を集めることができる、ということだろう。その結果、当初は多少間違っていた知識もうまく修正がかかって、失敗を回避できているのかもしれない。
それでは、「正当化された真なる信念」としての知識を強化するにはどのような方法があるか考えてみた。
【信念強化のリスト】
・繰り返し主張する、書く、話す
・成功体験で裏打ちする
・賛同者、支持者を得る
・トラウマ、病気、戦争体験など生死に関わる体験、過酷な逆境
・執着的、粘着的、禁欲的な性格(*)
*こんな本があった「童貞としての宮沢賢治 ちくま新書」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480061096/
晩年に高い評価を得た、学者や経営者や芸術家で、若い頃はその思い込み故に、奇人変人と思われていた人物は多い。彼らの持っていた知識フレームやパラダイムは当時の常識に照らすと「間違っている」ものだった。逆境にありながら、その知識を強化するには、上記のリストのような経験があったはずだ。その時点での客観的正しさよりも、強化することの方が重要なことがある。
■ITと個の影響力の範囲拡大
最近書店では、モチベーションマネジメントやコーチング、交渉術の本をよく目にする。売れ筋を見ても、一般の関心も高いようだ。不況を精神面から克服する意味もあるのだろうけれど、もうひとつの理由として、普及したITが個人の能力と影響力を無限大まで高めることができるようになったから、という仮説を私は考えている。
IT普及前までは身体を鍛えてもプロレスラー程度だったところが、IT武装によって情報収集力や発信力を得て、アニメの巨大ロボット並みのスーパーパワーを持ち得るようになったということだ。インターネットを使って数万人や数十万人に個人が影響力を持つことはもはや日常茶飯事だ。
ここで個人の影響力の範囲を、6段階に分けた同心円として表現してみた。個人、イエ、ムラ、コミュニティ、社会、世界の段階を、外側へ影響力を広げるための伝達手段や主なITツールを別表にした。
■ポスト・デジタル・デバイドの丸裸の個人
同心円を外側へ向かって影響力の範囲を拡大させる大きな力のひとつが、信念としての知識ではないかと私は考えている。粘り強く、繰り返し訴え、影響力を諦めないこと。手段やツールはその力を加速させるものに過ぎない。ツールだけでは何も起こらない。
IT時代になって、身体と頭脳の拡張ツールが一般化したことで、個人の能力は丸裸にされつつある。過渡期としてのデジタルデバイドが終わった時、ツールのリテラシーによる差は最小化される。つまり、個人のベースとなる知識の量と質、処理能力や、持っている影響力の差が拡大し、できる人、できない人の差は極端に大きくなってくる。
■影響力を持つ知識の使い手の戦略
そういった時代に影響力を持つ人には2パターンの戦略があると考える。
1 影響力伝播の仕組みに通じている確信犯
同心円の構造とはたらきに精通してそれを利用する人
2 情熱的な発信者という実行犯
この論の前半で述べたような信念としての知識を持つ人
今のインターネットの情報の動きを見ていると、悪貨が良貨を駆逐することは多い。知識の正しさを評価する仕組みは漠然としている。部屋に閉じこもって外部とコンタクトを取らずに、匿名掲示板の正しさ、間違いを読むことは困難だ。正しさを調べるツールもある代わりに、間違いを信じ込ませる仕組みも発達してしまっている。検証のしっかりした学会社会とは違う性質の世界だ。自然淘汰、浄化はあまり期待できない可能性が高い。
「正当化された真なる信念」、正しいと信じて発信し、自己強化しながら、同心円の外側へ働きかける「行動のための能力」が、今後一層、知識の影響力を左右する大きな要素になると私は考えている。
■悪貨と良貨を見分ける難しさと必要性
また、この論の中で述べたように、
・本人にとっては「信じている」ことが、知識の正しさであり伝播させる原動力
・当初間違っていても後世に正しさが評価される知識がある
・同心円外部への「突破」できる知識が実践では正しい知識とみなせることがある
と考える。
倫理的にこの考え方はどうか、全体を正しさの方向へ導くガイドがあるべきなのではないか、とも思う。私はこうなってほしいと考えているわけではない。知識の伝播が何らかの正しさ(政治的、社会的な合意としての正しさ)によって最適化される仕組みは求められていると思う。パブリックコメント、アセスメント、学界的検証にあたる知識流通のフィルターをどう作っていくかは、これからのグローバルイシューと言えるのではないか。
#図 情報発信の影響力の同心円
添付「図1.ppt」参照
#図の解説表 影響力の範囲と伝達形態、ITツール
範囲 伝達形態 主なITツール
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個人
↓ 親しい会話 メール
イエ
↓ 社会的発話 メーリングリスト
ムラ
↓ 小さなメディア 個人Web
コミュニティ
↓ マスメディア ニュースサイト
社会
↓ グローバルな場 現状特になし
世界
*組織に置き換えると、イエ(部署)、ムラ(企業)、コミュニティ(業界)、社会(市場)などと表現できそうだ。
投稿者 webmaster : 2005年01月27日 14:29